Column 全ての記事

【ディズニー】美女と野獣の野獣はエイズ患者のメタファーだった?

『美女と野獣』の野獣がエイズ患者のメタファーであることはあまり知られてはいない。

この「愛と時間の有限性」をテーマにしたプリンセスストーリーは、アニメーションとしては異例のアカデミー作品賞にノミネートされ、興行収入も1億ドルという歴史を塗り替える偉業を達成した。しかしながら、ストーリーのみならず、音楽、芸術、革新性などあらゆる表面から絶賛を浴びたこの作品には隠されたもう一つのストーリーがあった。そしてこの『美女と野獣』に隠されたストーリーを吹き込んだ男は、自ら生み出したこの作品の完成を見届けることなくエイズでこの世を去ってしまったのだった。ここではそんな美女と野獣のもう一つのストーリーを追っていこうと思う。

本題に入る前にまず、ディズニーがいかにプリンセスストーリーの描き方を変遷させていったかについて簡単にまとめたいと思う。

 

プリンセスストーリーの変遷

初期:20世紀前半(白雪姫、眠れる森の美女、シンデレラ)

この時代の作品にはいずれも、時代が要請する「女性かくあるべし」というステレオタイプが投影されている。つまり女性というのは「美しく従順であるべき」で、そうすればいずれ王子がやってきて男性のモノにしてくれるだろうという「保守的かつ男尊女卑的な価値観」が色濃く反映されている。また白雪姫やオーロラ姫などの描写は、現代の価値観に照らし合わせれば女性というよりは「少女・幼女」に近い描かれ方もなされており、当時における家父長社会と男女間の役割分断を美徳とするアニメーターたちの価値観もここから読み取ることができる。

 

ルネサンス:1990前半(リトルマーメイド、美女と野獣、アラジン)

ベトナム戦争の影響もあり長らくディズニーはプリンセスストーリーなど勧善懲悪作品を作らなかったが、1980年台になって再び製作に着手するようになる。ここで描かれたプリンセス像は初期のものからは大きく変容し、プリンセスは総じて聡明で主体的な存在として登場する。例えばアリエルは父の言いつけを破って陸を目指したり、ベルは今度は男性を教育する立場に置かれる。また『アラジン』においては中東が舞台という保守的なディズニーの世界観からは大きく逸脱したものとなっている。「男性との結婚=幸せ」という価値観は変わってはいないものの、ルックスではなく内面にも重きを置かれるなど、多様的な価値観にも十分配慮されたものになっている。

 

多様性時代:1990年代後半(ポカホンタス、ムーラン、プリンセスと魔法のキス)

「アラジン」の大ヒットの影響からか、今度は白人アメリカ人の枠に囚われないさまざまなプリンセス像をディズニーは模索し始める。ポカホンタスやムーラン、プリンセスと魔法のキスに登場したプリンセスの出自はいずれも非白人であり、さらに恋愛とはまた別の主目的に向かって行動する点においてもこれまでのプリンセス像とは大きく異なっていた。

 

現代:2000年以降(アナと雪の女王、モアナと伝説の海)

2000年代に入ると、さらに一歩進んでディズニーは「幸せ」のあり方を根本から見直し、女は男を愛すべきという「べき論」からの解放、そして女性のとっての幸せが必ずしも結婚ではないというステレオタイプの書き換えを行い始める。『アナと雪の女王』のように必ずしも恋愛の対象が異性ではなく姉妹や家族といったものに向くことの重要性を、アナという古典的な恋愛観を持ったものを登場させることによって批判的に描いたり、『モアナと伝説の海』ではロマンスを完全に排除したりと大胆なジェンダー像も模索し始める。プリンセスのあり方や作中に登場する人数を制限しないなど、固定観念を大胆に破壊して見せることでよりわかりやすいテーマを掲げるようにもなった。

 

プリンセスのあり方

こうしてみると時代の変遷とともにプリンセスが負っていた役割は異なっていた。大きな時代のうねりとともにプリンセス像が変容していく様は鮮やかできちんとした動機と一貫性を持った歴史でもある。確かにこうした原作からの書き換えは常に批判がつきまとうし、そこに人種差別的な表現がなかったとは言い切れない。しかしながら批判を恐れずにディズニー社が自ら新しいジェンダー像を切り開いていく姿勢は高く評価されるべきだと個人的には思う。

しかしながらこうした文脈で見返してみると、やはりディズニールネサンス期において生じたある種のパラダイムシフトというのにはある一人の男の力が非常に大きく影響しているようにも思う。

 

早熟な天才・ハワードアシュマン

作曲家、監督、振付師、音楽家、脚本家、プロデューサー、デザイナーとしてディズニーアニメーション全体を統括し、ディズニー映画にルネサンスをもたらした男。中でもアランメンケンとタッグを組んで制作した「美女と野獣」「リトルマーメイド」「ライオンキング」の3作品はアニメーション史に残る傑作と言われ、現代でも高く評価されている。ウォルトディズニーの哲学を徹底的に研究し、作品の中で忠実に再現したハワードであったが、1991年にエイズによって41歳で逝去してしまう。

アシュマンは元々は脚本家としてアランメンケンと共にミュージカルの脚本を書いていた。ミュージカル『リトルショップオブホラーズ』を成功させると今度は二人は活動の拠点を映画に移し、ディズニーと限定的な契約を結ぶようになる。二人はまず『人魚姫』を舞台にした映画に取り掛かり、1989年に『リトルマーメイド』として大成功させると、次に製作の既に進んでいた『美女と野獣』の製作に取り掛かるようにディズニーより指示される。

 

美女と野獣  隠されたもう一つのストーリー

そこで製作総指揮として抜擢されたアシュマンは、シリアスでドラマチックな話として進んでいた『美女と野獣』を大幅に改変し、ベルだけではなく野獣を主人公の一人として加えさせることによって迫害やマイノリティの苦しみ、身体の衰弱などもテーマとして盛り込ませることを計画した。

ここに美女と野獣に隠されたもう一つのストーリーが浮かび上がる。アシュマンがエイズと診断されたのは『美女と野獣』制作前。彼はエイズを自身の体を変化させる呪いのようだと捉えており、作中の野獣に自身を投影しようと考えた。「人間としての死」へと一直線に進む時間の有限性を「薔薇の花」に喩え、LGBTとエイズに対する世間の理解の無さから迫害に苦しむ姿を野獣に重ね合わせた。

アニメーション版のプロドューサーを勤めたドンハーンによれば、アシュマンの作詞したKill the beast(The Mob Song)はまさに彼のそうした想いを歌ったものだという。

 

この点、実写版『美女と野獣』でベルを演じたエマワトソンは重要な示唆をしている。

 

「ダン(野獣)と私という、まるで似つかわしくないキャラクター同士が、なぜ理解を深めていくのかを考えることがとても大切なのです。私はオリジナル版を観て、なぜベルが自分は違うのか、なぜ違う自分になりたいのか、なぜ彼女は自然と異なった存在であるのかをもっと知りたいと思いました。」

 

ストーリーテリングの話になるが、物語というのは相反する価値観のぶつかり合いによって、それを動力源に前へ前へと進む。アシュマンのこうした想いを踏まえて改めて作品を見つめ直してみることでなぜ野獣と美女の二人が結ばれたかについてのまた違った見方ができるかもしれない。

最期

1989年アカデミー賞の夜。ハワードアシュマンはアランメンケンに「告げなくちゃいけないことがある。分かるだろう」と言って、アランメンケンを呼び出したという。彼はそこで初めて自分がエイズにかかっていること、そしておそらく「美女と野獣」が最後の作品になるであろうことを打ち明けた。彼は他の同僚にはエイズであることを隠して仕事を続けたが、彼は死の直前までアニメーションという媒体に向き合い、野獣に最後の自分を投影することによって力を振り絞っていったのである。野獣はベルという救世主があわられることによって救われたが結局アシュマンは無惨にも運命に抗うことはできなかった。

something thereの製作は既にベッドから出られなくなるほど衰弱していたアシュマンがベッドの上から出せない声を絞り出しながら現場の声優に指示をしたという

アランメンケンに比べるとハワードアシュマンの名前はあまり広くは知られていない。しかしながら、アシュマンがいなければアランメンケンが作曲した数々の名曲はディズニーにもたらされなかっただろうし、ディズニーにルネサンスは訪れなかったかもしれない。

彼の墓には『O that he would have but one more song to sing(ああ、彼があともう一曲だけでも多くの作品を残してくれれば)』と刻まれており、多くの人から早熟な天才の早い死を惜しまれている。

 

参考文献:

荻上チキ,2014,『ディズニープリンセスと幸せ の法則』(星海社新書)

 能登路雅子,1990,『ディズニーランドという聖地』 (岩波新書)

柳生すみまろ,デイヴスミス, 2014 『ディズニーアニメーション大全集』 (講談社)

ジェシカブロディ, 2019 『Save The Catの法則で売れる小説を書く』(フィルムアート)

  • 自己紹介

Yutaro

慶應義塾大学文学部4年 /TOEIC960 / Python歴2年(独学)、PHP,Javascript歴5ヶ月(業務)/ 応用情報技術者 /(⬇︎ホームリンク)

-Column, 全ての記事

© 2024 Yutaro blog