「発想」という日本語は英語に訳すとcreativeとimaginativeという二つの単語が該当します。さらに今度はこれを直訳で日本語に戻すと「想像(imaginative)」と「創造(creative)」という同じ読み方をする2つの日本語にわけられます。ここでウォルトディズニーが自社のクリエイター職の名前にあえてイマジニアという造語を当てた意義は小さくありません。つまりウォルトディズニーが社員に求めた「発想力」というのは、決して物を作り出すという意味での「創造」ではなく、頭の中で完結する空想の世界を作るという意味での「想像」だったのでした。
イマジニアとは
イマジニアとは世界各国のディズニーランドのアトラクションやショー、エリア設計を担当するディズニー内の役職で、技術者からアニメーター、作家や建築家など数百人が集まって活動しています。
よくアトラクションで見かけるオーディオアニマトロニクスや噴水技術などロボット工学やデザイン領域において300もの特許を取得しています。
↑こうしたロボットをオーディオアニマトロニクスという
イマジニアの理念
イマジニアには共有された一つの理念があります。それは「夢を構築する」こと。秘密主義のディズニーですから具体的なノウハウまでは明かされてませんが、まずは予算的、物理的制限を取っ払って大胆に物事を構想する、そしてその後に初めて実行に移すというブルースカイスペキュレーションという独自のシステムを有しています。
「夢を構築」すること。それはとりもなおさず、「創造」ではなく「想像」することです。
イマジニアの歴史
そんなイマジニアの歴史は古く、1953年にまで遡ります。当時、ディズニーカンパニーはウォルトディズニーの手腕の元、カリフォルニアに最初のディズニーランドを建築する計画を立てていました。しかしながらディズニーカンパニーの役員と株主はディズニーランドを建設するという案には反対で、そこでウォルトは社内から独立した別企業としてWEDと呼ばれるディズニーランド運営会社を設立することになりました(当時の2Dアニメーターは、自身の書いた二次元の絵を立体にすることができなかった)。
その後ディズニーランドが成功し、テーマパーク運営が収入源の重要な柱となるとディズニーはWEDを買収することで自社の一部門とします。
1986年になると、ディズニーカンパニーは世界各国でディズニーの世界観を維持したテーマパークを作る部署として名称を改め、イマジニアリングとして会社をリニューアルさせました。
中国は政府と、日本の場合はオリエンタルランドがこれらの部署と共同してテーマパーク運営を行なっていますが、東京にもアドミニストレーションビルディング内にイマジニアリング部門が置かれています。
ディズニーイマジニアリングは現在、非常に名高く、例えば前澤社長が乗るSpaceXのデザイン担当者などデザインと工学領域の交錯分野にあらゆる業界に輩出しています。そんなイマジニアリングの中で1人忘れられた日本人イマジニアがいます。
日本人イマジニア ミツ・ナツメ
スペースマウンテン、ビックサンダーマウンテンの二大マウンテンのデザインを担当した謎のイマジニア、「ミツナツメ」(正式にはミツオナツメ)。現代のディズニーランドの世界観を構築するのに非常に大きな役割を果たした人物でもあります。
彼は第二次世界大戦前に和歌山移民の息子で、1927年にバーバンクで出生しました(バーバンクには現在ディズニーカンパニーの本社がある)。戦時中、彼は日系人としてマンザナー強制収容所に収容され、そこで高校を卒業します。その後、彼はコロンビアピクチャーズの美術部門に雇われ、そこで頭角を示してWEDへと転職することになります。
彼が最初にディズニーから任された仕事は1964年のニューヨーク万国博覧会。ここでも高い評価を得たミツナツメは、今度はディズニーランド内のトゥモローランドの設計を任されることになります。
スペースマウンテンの独特な外観とそのデザインをするミツオナツメ
トゥモローランドの独特な世界観を構築した彼は次にサンダーメサというアトラクションの設計に取り掛かります。名称は違いますが、これが後のビックサンダーマウンテンです。
これらのアトラクションはいずれも1960年代前後に建設されたものですが、総指揮を取ったウォルトディズニーは1966年に亡くなってしまいます。その後、程なくしてミツナツメはイマジニアリングを退職しており、その後の記録については残念ながら残っていません。
実はこのミツナツメの業績が見直されるようになったのはここ数年のことなのです。長らくディズニー研究においても、1960年代のディズニーに日本人(もしくは日系人)と思われる謎の優秀なイマジニアがいるということが分かっているだけで、彼の素性はほとんどわかっていませんでした。しかしながら、最近になって彼の息子が写真などを公開してくれたため、改めて脚光を浴びるようになったのです。
イマジニアという仕事は現在でこそディズニー社内外で有名ですが、当時は社内でも異端として排斥されることもあった部署でした。そんな中で、ミツナツメはウォルトの意思を引き継ぎ、豊かな想像力を活かしてウォルトの夢を現実のものにしたのでした。最初期のイマジニアとして決して現実には存在しないものを作り出すという「想像」の姿勢は今のイマジニアにも受け継がれています。
参考文献は以下の通り。ミツナツメの写真は全て、http://mitsuonatsume.com/から引用しました。
参考文献:
ディズニーランドの秘密(有馬哲夫) 新潮新書 2011年
↑ミツナツメが謎のアニメーターとして登場している。
http://mitsuonatsume.com/ 2021年7/18日 閲覧
https://disneyimaginations.com/ 2021年7/18日 閲覧
https://en.wikipedia.org/wiki/Walt_Disney_Imagineering 2021年7/18日 閲覧