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ディズニー映画『ポカホンタス』の真実

© Walt Disney Pictures/zetaimage

ポカホンタスと聞いてまず思い浮かぶのは、かのディズニー映画『ポカホンタス』だと思います。ディズニー映画の中では珍しくハッピーエンドでは終わらないプリンセスストーリーで、ディズニールネサンスの1つに数えられてるほどの売り上げを誇った作品です。しかしながら、この映画は公開直後から人種差別的、白人至上主義的だと批判に晒され、黒人、インディアン両団体から激しい抗議を受け続けています。果たしてなぜ、実話を扱ったポカホンタスはこのような批判に晒されてしまうのでしょう。(因みにディズニー映画では実在の人物を扱った初の作品ともなりました)

コラム

先ほど、人種団体から抗議を受けてる作品の1つと書きましたが、ディズニー映画はこれまでも数多く白人至上主義的だと批判に晒されてきました。例えば『南部の唄』。こちらは1946年に公開されたディズニー映画で、のちのアトラクション・スプラッシュマウンテンの元にもなった有名な映画です。しかしながら公開直後から同じように黒人差別的だと非難され、現在ではビデオ販売含む、すべての放映が禁止されています。理由として、黒人の描き方が適切ではない封切りイベントでは黒人俳優が一切招待されなかった等が挙げられますが、この作品はポカホンタスの比にならないほどバッシングを受けることになりました。

よく知られているディズニー映画のポカホンタス

17世紀後半、まだアメリカ合衆国が誕生する前のこと。インディアンのポウハタン族の酋長の娘、ポカホンタスは森の中の生き物とも会話できる好奇心の強い少女であった。

ある日、彼女は同じインディアンのココアムからプロポーズを受けますが、彼女にとっては望まない結婚であるため返答を渋ります。そんな時、ポカホンタスの住んでる土地にイギリス人たちが植民地化を企て、開拓者たちがやってきます。しかしながら彼らイギリス人はインディアンと共存する考えなど毛頭なく、土地の征服に全勢力を捧げます。ある日、ポカホンタスが興味本位でイギリス人開拓者たちの後を追っていると、後ろからジョン・スミスという男に銃で脅されます。言葉も宗教も違うはずの二人でしたが、彼らは心を通じあわせ運命の出会いに一瞬にして恋に落ちます。

しかしながらジョン・スミスはインディアン達に捉えられてしまいます。これを機に両者の関係は対立、ついに戦いが始まってしまいます。そんな中ジョン・スミスは処刑台にかけられます。彼が殺されようとしたその瞬間、傍で見ていいたポカホンタスはジョン・スミスの前に立ちはだかり処刑をさえぎります。すると父親はポカホンタスの行動に理解を示し、ジョン・スミスを解放します。しかしながらイギリス人探検隊側は当然ジョン・スミスを捉えたインディアンに対して穏やかならぬ感情を抱き、報復にインディアンの酋長を撃とうとします。しかしながら今度はジョン・スミスは身を以て酋長を遮り、身代わりとなって彼を守るのでした。

深い怪我を負ったジョン・スミス。彼が命を助かるにはイギリスに帰国するほかありません。一時は彼に付いて行ってイギリスまで行くことを考えたポカホンタスでしたが最後は、生まれ育った地で家族で暮らすことを選びます。そしてお互いに自分が元いた場所に戻ることで映画は幕を閉じます。

参考

インディアンという呼称を止めて、ネイティブアメリカンという言葉を使おうという動きもあったようですが、ネイティブアメリカンはエスキモーなど含む全てのアメリカ原住民を指す呼称であり代替となる言葉ではありません。当のインディアン側はインディアンと呼ばれることを望んでるようですから、ここでは彼らの意見を尊重してそのままインディアンという呼称を用いさせていただきます。

これが俗に言われるポカホンタスの美談というやつです。では次に実際のポカホンタスの話を、上記のディズニー映画を踏まえた上で見てみましょう。

真実のポカホンタス

作中、ポカホンタスと恋に落ちたジョン・スミス。若造のように描かれていますが、実際はポカホンタスよりも年齢が20-30以上年上で、探検隊の中でも指導的な立場にありました。彼はインディアンを人とも思わずNaked Savage(裸の野蛮人)と呼び、虐殺、私掠を繰り返し行います。やがて自分たちの食糧が尽きると、今度はポウハタン族の酋長の息子(ポカホンタスの弟)を誘拐し、命と引き換えにトウモロコシ20トンを要求します。のちに彼は解放されますが、当然ポウハタン族は憤慨します。

その後もイギリス人達は懲りずに拉致、略奪を繰り返しますが、やがてイギリス人達は厳しい冬を乗り越えることができずに弱体化し、ジョン・スミスもインディアンとは関係なく火傷を負いイギリス本国へ帰還します。(因みにジョンスミスはこの少し前、ピューリタンが上陸した地としても有名なプリマス(ケープコッド)を訪れ、自身の持ち込んだ天然痘によりこの地に住むインディアンを絶滅させています。)

その後、ジョン・スミスと入れ替えにリーダーになったサミュエル=アーゴールは今度はポウハタン族の酋長の娘ポカホンタスを誘拐し、イギリス人捕虜解放、武器の返却、そしてお馴染みのトウモロコシ20トンを要求し監禁します。父親は、娘のことを第一に思って、すべての要求を黙って飲み込みます。しかしながら要求を飲んだにも関わらずイギリス人探検隊側はポカホンタスを返還することなく、なんとイギリスへ連れて帰ってしまいます。ちなみにこの時、ポカホンタスはジョン=ロルフというタバコ農園主と望まない結婚をさせられていたようです。

娘の返還を求めるポウハタン族酋長には「ポカホンタスはイギリス人とすでに結婚し、本国に帰還している。彼女も戻りたくないと言ってるので要求には応じられない」と突っぱねます。当然、父であるポウハタン族酋長はひどく落ち込み、すっかり気力をなくしてしまったようです。その後ポウハタン族は一時は誘拐されたポカホンタスの弟オペチャンカナウが指導者につきますが、後に他のインディアン部族達と同様にイギリス人たちによってポウハタン族は絶滅させられてしまいます。

イギリスに戻った当のポカホンタスはどうしていたかというと、結婚当初はイギリスでもインディアンプリンセスだと持て囃され、社交界にまでデビューします。しかしながらロンドンで生活するようになって間もなく、彼女は故郷の地に帰りたいと述べるようになり、帰国の途につきます。そこで夫と一緒にロンドンを出航しますが、テムズ川を下り始めてすぐ、イギリスを出国することなく彼女は病に船上で倒れ死んでしまいます。

享年22歳。

一説には夫が殺したとも言われ、彼は彼女の葬式を行うこともなく、同じ年に別の女性と結婚してしまいます。

これがポカホンタスの真実です。美談として教科書にも掲載されてる方はすでにジョン・スミスの捏造であるということが証明されています。

ポイント

ちなみにポカホンタスはロンドンに住んでいた当時、子供をもうけます。王家のないアメリカにとってはインディアンプリンセスであるポカホンタスの血統は名家として扱われ、孫の代から続くボーリング家はアメリカ屈指の名家として発展します。この血筋からはジョージブッシュ大統領(子)、二人の大統領夫人(ウィルソン、レーガン)、ジョンマケイン議員といった政治家を多く輩出しています。日本で言うところの安倍家、福田家あたりといったところでしょうか。因みに現在でもアメリカ人のほとんどがジョン・スミスがでっち上げた美談の方を史実として捉えているようです。

問題となっている点

当然この映画を見たインディアン側は怒りに憤慨します。極悪非道人のジョンスミスを聖人君子のように持ち上げ、実際にインディアンに対して行われた蛮行の数々を、『ポカホンタスの美談』としてプロパガンダ的に利用されてしまったのですから。

ディズニーが社会に対して持つ責任というのは甚大です。世界中に張り巡らされたディズニーチャンネルネットワークを通して、昼夜問わずディズニー文化は享受され、神話化されます。今この瞬間にも世界のどこかにはポカホンタスを見ている人はいるはずです。実際、日本人の中にもインディアンの女性と聞いてポカホンタスの顔を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。(彼女の顔はポウハタン族の顔というよりは黒人似だと批判されている。)

また作中の挿入歌でも、インディアンを野蛮と歌い上げたり、肌の色を地獄みたいに赤いと歌い上げます。映画と同様、ディズニーソングというのは絶大な影響力を持ちます。世界中の子供達は、小学校で習ったり、ディズニーランドのBGMで流れる音楽を耳にして、意味もわからずにまずその歌を歌い上げるようになります。こういった事に対してインディアン達は憤慨し、容赦ない無責任な方法で私たちを傷つけたと声をあげるのです。

内容も知らないティーンの女の子が意味も分からず挿入歌の歌詞にあるインディアンは野蛮だ、地獄みたいな赤色をした肌を持っていると歌い上げてるのを聞いたらインディアンの子供達はどう思うでしょうか。『美女と野獣』、『リトルマーメイド』『アラジン』の挿入歌を作曲したアランメンケンの全盛期の作品の1つですから今なおこれらの曲は彼のコレクションとして語り継がれます。

実際、この映画を見る事で胸をえぐられるような思いをしたインディアンの子供達もいました。企業の利益になるよう、都合よく史実を書き換え、こういった間違ったステレオタイプを非インディアンの子供に植え付けてしまう。既に公開され広く認知されてしまった映画ですから、容易にこのイメージを払拭することはできません。

確かにディズニーはこれまでの白人を中心にしたストーリーからの逸脱を図り、マイノリティに焦点を当てた点は非常に大きく評価できる部分でもあります。しかしながら史実には基づいておらず、ディズニー側のコンテクストの意図的な操作が介入していることを踏まえることは、この映画を鑑賞する上で大切なことだと思います。

 

以上、ディズニー映画の真実シリーズPart1でした。Part2は『南部の唄』あたりでも扱おうかなと思います。ではまた!

  • 自己紹介

Yutaro

慶應義塾大学文学部4年 /TOEIC960 / Python歴2年(独学)、PHP,Javascript歴5ヶ月(業務)/ 応用情報技術者 /(⬇︎ホームリンク)

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