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【スターウォーズの哲学】フォースをつかさどる2つの哲学とその成熟

スターウォーズはいつの時代も男女問わず広く愛され、今なお新作が公開されれば大きなセンセーショナルを呼ぶ超人気作品群である。しかしながら制作元のルーカスフィルムがディズニーに買収されたこともあって、ストーリーは「正史」「スピンオフ」「レジェンズ」など複雑に絡み合い、物語の全体像はわかりづらくなっている。

その複雑多岐な物語を貫いて軸として存在しているのが「フォース」という力であり、ジェダイとシスというフォースを司る2つの哲学の対立である。スピンオフ含めてこの二つの哲学の対立が全てのスターウォーズ作品の焦点と言っても差し支えないだろう。

これらスターウォーズサーガと呼ばれる作品群は、スピンオフ小説やアニメ、ドラマなど膨大な資料全てにおいて大まかな一貫性があり、そこに書かれたものを全て「記録」「歴史の事実」と捉えることによって、一つの大きな歴史を形成する。私自身、小学生の頃からスターウォーズファンであるが、こうした1000年にも及ぶ歴史に想いを巡らすことは何年経っても飽きない。

そこで今回はスターウォーズを単に善と悪の対立ではなく、フォースを軸として見た哲学概念の対立として捉えることによって、両者の概念が歴史の中でどう絡まり合い成熟していったかについて見ていこうと思う。

 

スターウォーズとは

まずスターウォーズは「遠い昔、遥か彼方の銀河系」を舞台にした冒険譚であり、そこでは人間やドロイドと呼ばれるロボットが共存して生活している。全体の歴史は非常に長いが、映画化されたのはその中でも最もドラマになると判断された1世紀(共和制→帝政への変換期)のみである。

物語はフォースと呼ばれる神秘的な力とそれを操る先天的な特殊能力者(ジェダイとシス)を中心に展開し、個人の争いを超えた惑星間の争いというダイナミズムが作品の魅力でもある。このフォースという力は、人の気持ちを操ったり、遠くにある物体を操作したり、自身の身体能力を強化することができる非常に強いエネルギーであるが、その強さ故にライトサイドとダークサイドというフォースを扱う相反する二つの哲学が存在する。そしてこの二つの哲学をそれぞれ奉授するジェダイオーダーとシスという組織間の戦いが映画のテーマになっている。全ての生物にこのフォースの力は宿るとされてはいるが、それを感性として自在に扱うことができるのはごく限られた人種のみであり、先天的な能力によってこれを認められたものがジェダイになる資格を持っている。

ここではフォースを取り巻く現況と、その哲学概念をジェダイオーダーとシスがどう受容してきたかについて歴史的な観点からまとめる。歴史的(通時的)に読み解くことによって、概念と流れの必然性を理解してもらえれば映画に対する理解もより一段深まるはずである。

 

※ここからは作品の世界観を尊重するために、メタ的な視点を極力避けるようにしてある。

フォースの歴史

フォースの発見:

物語中においてジェダイという概念の定義は定かではないが、惑星タイタンにおいて確認されていたアシュラとされる謎の力を哲学者がフォースと名付けたことが最初とされている。やがてこの研究グループが、フォースを銀河に平和をもたらす力であるという了承のもとにジェダイオーダーと呼ばれる平和維持組織を結成し、それよりそこに仕える騎士としてのジェダイという概念が誕生することになった。(最初に結成されたのは惑星オク=トー)

 

惑星コリバンにおけるシスの誕生:

ジェダイオーダーは社会的な組織であったが、やがてジェダイオーダーから規則違反などで追放されたジェダイたちが惑星コリバンに集うようになった。元より惑星コリバンの原住民(シス種族)は遺伝的にフォースと馴染む傾向にあり、これら原住民ともジェダイは交わるようになる。その地でジェダイは支配層として振る舞うようになり、さらに彼らはオーダーに対抗するためシス帝国を建設しようとする。しかしながら、オーダーから追放されたジェダイたちに私益よりも社会的な利益を優先させようという考えはなく、早晩シス帝国は内部から瓦解してしまうことになる。その後、その中で生き残ったダースベインと呼ばれるシスがこれらの反省のもとに「ダースベインの教え(2人の掟)」という形でシスの教義を定義し直し、再起を図るようになった。ベインはシスが崩壊したのは協調性のなさが故であることを喝破しており、シスの技能や教義は師匠から1人の弟子へと明確な序列のもとで継承されるべきだと考え、自分を唯一のシス卿だと名乗る。この伝統は1000年を超えて一子相伝制のもと連綿と受け継がれダースベイダーまで続くことになる。

 

ルーサンの改革:

惑星コリバンにおける戦争の反省に基づきジェダイオーダーにおいても改革が進められた。フォースの使用に対しては、さらに慎重な姿勢を求めるようになり、また恋愛の禁止や利他的な精神の涵養など禁欲的な生活を強いるようになった。さらに騎士叙位の基準や修行内容をより厳しいものにし、生後6ヶ月以内にジェダイとしての英才教育を施さないとフォースの使い手であってもジェダイになれないように規則を厳格化した。これはジェダイとしての英才教育が始まるのが遅ければ遅いほど、ダークサイドに落ちる可能性が高いという帰納的な統計事実に基づくもので、理性によって感情をコントロールすることは教育の重要な主目的ともなった。

こうした改革の成果もあり、銀河はおよそ数世紀に渡ってシスのいない平和の時代が訪れた。しかしながらこの間、順調にジェダイの数は増え続けたのに対し、この間もシスは密かに「2人の掟」を守り続けていた。(ジェダイの数を増やしたことで、ライトサイドの力を薄く広く引き伸ばしてしまったことも、シスの教義を2人で濃密に伝承してきたシスに敗れてしまった原因ともされている。)

 

オーダー66:(映画におけるエピソード1から3)

平和の時代が長期化するにつれて、ジェダイオーダーの組織も次第に硬直化していくようになり、シスという敵が消えたことでジェダイの存在意義も曖昧になるようになった。ジェダイは惑星間の紛争業務や治安維持に従事することが多くなり、ライトセーバーを振り回すような実戦に参加したものは相対的にも非常に少なくなっていた。このような状況下で当時のシス卿であったパルパティーン最高議長(ダースシディアス)はジェダイに勝てる時が来たと確信し、表向きは元老院議長として振る舞いつつも、シス復活への準備に取り掛かるようになる。(この間、モール→ドゥークー→アナキンと弟子を3回変えている)。

クローン戦争後、パルパティーンはクローンを手中に収めたところで自らをシディアスであることを明らかにし、オーダー66を発令することでジェダイに対して公式な宣戦布告を行った。この時点でアナキンはまだ弟子にはなってはいなかったが、パルパティーンは惑星コリバン以来のシスの復活をついに宣言し、ジェダイがほぼ全滅したことを確認して、共和制からシスによる帝政へと移行を完了させたのである。

 

ライトサイドとダークサイドの二つの哲学

ダースシディアス(パルパティーン)はジェダイとして特別な訓練を受けたわけではない。にもかかわらず、ジェダイおして銀河の征服者まで上り詰めたのはダークサイド特有の哲学によるものである。ダークサイドは基本的には劣等感やコンプレックス、挫折・喪失といったそうした負の側面から生じるエネルギーを拠り所にする。そのために自分を限界まで追い込んでまで上に登りつめてやろうという強烈な上昇志向を持っている場合が多く、さらに自分の欲望を貫徹させるだけの忍耐力も訓練の過程で身につくことが多い。その点、単に使命感や利他的な精神の下に動くジェダイに比べると戦闘力と政治力に長けている場合が多いのである。

現にパルパティーンの若かりし頃は議員としては失態続きであったというが、強固な権力欲に支えられた彼の忍耐力と元老院という村社会的な環境下で育まれた劣等感(それに伴う反動としての「見返してやりたい」という信念)をバネにダースプレイガスの元で昼夜訓練に励んだという。映画版スターウォーズは見方を変えればパルパティーンが元老院議員として出世し、彼の野心を達成するまでという見方もできるように、彼は歴代のシス卿の中でも最高峰の力を誇っていた。(帝国が短命に終わったのはルークの力だけでなく、彼の政治的ビジョンの欠落も大きな理由の一つともされている)。


 

またこの点アナキンスカイウォーカーも同様で、彼はタトゥイーンの奴隷という抑圧された環境下に端を発する生存への並外れた欲求、そして解放された反動としての上から押さえつけられることを嫌う反骨精神に自己アイデンティティを支えられている。映画で描かれる彼の過信しがちな性格は経験不足や未熟というものだけではなく、脆弱な自己を支えるための自己愛性パーソナリティ障害的な側面から出発しているものでもあるように思われる。(ダースベイダーになってからもよるべのない慢性的な不安には苦しめられていたという)

パドメと母を失ったことによる喪失感、マスターに昇進できない挫折感、自分が全能ではないという幼児的万能感の敗北。これらの不都合な現実を直視できないアナキンに合理性を与えるべく登場したのがダークサイドの哲学であった。コインの裏表のように両者の概念は表裏一体である。

 

このようにダークサイドは後天的なものによって育まれる負の力を利用している。そのためダークサイドに落ちないようにするためには、早期から教育で押さえ込むことによって隙を見せない人格を養うことが重要である。前述したルーサンの改革によって盛り込まれた主要な項目は以下の通りである。これらはスターウォーズという映画の枠を超えて我々に重要な示唆をもたらしてくれる。

 

感情の抑制

ジェダイは生後六ヶ月から親元を離れて教育をされるので、必然的に親からの愛情不足という問題が浮上する。そのため愛情を欲するあまり危険な恋愛に走ったり、依存的な体質になりがちである。この点ジェダイの英才教育において、恋愛をはじめとする感情など自分でコントロールできない領域に身を預けることの危険性については徹底的に教育で教え込まれる。英才教育を施す年齢が遅ければ遅いほど、やはり感情にコントロールされる危険性は高まりダークサイドに付け込ませる隙を与えてしまうため、この点は非常に重要である。(しかしながら実際にはアナキンに限らずパダワン時代に隠れて愛を育むものは多数いると見られている)

 

献身の精神

人間とはいくら教育で本能を抑え込んでも利己的な生き物であり、その点がダークサイドに付け込まれる最も大きな弱点となっている。そこでコルサントにあるジェダイ聖堂などでは、公文書図書館を併設することによって戦術だけでなく歴史や哲学といった幅広い教養を養い、そのもとで発揮される大局観の上で適切な判断を行えるように教育を行なっている。確かにジェダイのような英才教育は画一的な人格を生み、似たような人種が集まることによって構成される組織は硬直化しがちである。しかしながらフォースは非常に強いエネルギーであるが故にある程度統制が取れるようにジェダイは監視下に置かれ、一部の人権は強制的に剥奪される。

 

フォースと東洋思想

フォースという力は元来、東洋的な考えに基づくものである。八百万の神のようにあらゆるものに宿る神秘的な力を信じ、それを「気」という念力で操ること。これがフォースの使い手としてジェダイに託された使命であり、それを利他的な精神の元、広く他人のために役立てることがジェダイ教育の最大の目的である。

マスターヨーダは惑星ダコバにてルークに 自然を征服の対象と見るのではなく、共生の対象と見ることを教えた。ジェダイオーダーが崩壊し、後悔の念に苛まれてながら隠遁生活を送っていたヨーダの言葉を見る限り、東洋的な哲学こそがライトサイド、西欧的な哲学をダークサイドとしてみることも可能であろう。

 

スターウォーズから学べること

このようにスターウォーズは単なるSFにとどまらない深みのある作品である。人物造形から、政治模様、フォースに潜む哲学や「禅」といった日本的(東洋的)価値観の反映など、さまざまな視点から捉えることができる。その度にスターウォーズを眺める景色は違うし、そこから得られる知見もまた異なる。いわば噛めば噛むほど味の出る作品なのであり、人生の指針として頼りにすることもできるのである。確かにディズニーがスターウォーズを買収したことによりプロットや作画の雰囲気はだいぶ変わった。しかしながらスターウォーズサーガに位置付けられている時点で、そこに潜む哲学は概ね共通しているのであり、解釈の許されてる限りで我々は自由に読み直すことができる。単に映画を眺める客体としての存在に止まるのではなく、主体的に映画を解体しながら分析してみること一層深い読み方ができるはずである。

 

※スターウォーズ史の細かな記述等はファンサイト(wookieepedia)や英語版Wikipediaを参考にした。

  • 自己紹介

Yutaro

慶應義塾大学文学部4年 /TOEIC960 / Python歴2年(独学)、PHP,Javascript歴5ヶ月(業務)/ 応用情報技術者 /(⬇︎ホームリンク)

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