ベッドに眠りついてから2時間ほど。分かりやしないと思い早々にホストマザーの言いつけを破って2時間以上寝てやろうと腹に決めていた僕の思いはあっさりと見破られ、笑いながらホストマザーが起こしに来てくれた。

 

 

 

   これが僕の部屋

 

眠たい目をこすりながら、スーツケースを開き、ここに3週間住むんだなあと思いつつシェーバーや服といった日常品を部屋の各所に配置していった。一通りすませ、ソファに座りもう留学生たちは帰っているのだろうかと耳をすませた。何も聞こえないので、彼女たちが帰宅したのか確かめるのと同時に夕飯が出来たら合図をしてくれるのかを確認するため上の階に戻った。案の定彼女たちは帰っておらず、なんとなく安心した気持ちとまたこの不安が続くのかという気持ちの狭間で複雑な気持ちになった。ちなみに夕飯のときは呼びにきてくれるとのこと。

 

部屋に戻り、ソファに座ってこれからかれこれ2時間近く僕は不安と緊張の気持ちに苛まれることになる。

 

睡眠もとり、気持ちの整理がついたのかようやく今自分がいるのが日本ではないという実感が湧いてきた。なるほどここは日本から太平洋隔てた新大陸、かつてどれほど多くの幕末藩士がこの国を見たいと思って命を落としてきたのか、「龍馬がいく」第二巻を片手にそんなことまで思った。

 

さっきバートに乗りながらみた澄んだ空、そして地平線まで続く青い海は同じ太平洋でも日本のものとは大きく違っていた。ここは間違いなくアメリカ西海岸、小さい頃から憧れの場所だった。アメリカに行けば何かある、そういった思いを胸にして多くの日本人が渡米をし、何も得られずにがっかりして日本に帰ってきた。そんな人とは同じにされてたまるか、絶対何か刺激を受けて帰ってくるぞ!と次第に自分の気持ちは大きくなっていった。

 

どうやら一人で外国に渡米した日本人の多くがこんな感情に襲われるそう。かの私の慕う藤原正彦先生によれば、多くの日本人が「見知らぬ土地で不安につぶされそうな自分を支えてくれる強力な何かを無意識に探し求めた結果」(藤原正彦『若き数学者アメリカ』1977 新潮文庫p27-28)こういう情熱的な感情に襲われるらしい。私の場合、愛国心がそれほど伴わなかったので少し違うかもしれないが急性愛国病なるものと通ずるところがどこかにはあるのかもしれない。

 

 

とまあいろんなことを考えつつ、とりわけやることもないので、スイス人、イタリア人の国民性についてネットで調べてみた。まずスイス人、どうやら警戒心が人一倍強く、なかなか外国人には心を開いてくれないらしい。またはっきり物をいう性格なのだそう。次にイタリア人。能天気でマイペース、親切、おしゃべり好きだとのこと。これを読んでなんとかイタリア人とはうまくいきそうな気がしてきた。

 

   

 

 

また母国の情報についてあらかじめ詰め込んで置いて披露してあげたら好感を持ってくれるかもしれないと思い、地理や歴史といった基本的なことから、その国の大統領まで頭に詰め込んでおいた。イタリア人とはなんとかなるだろうという楽観的な考えをすでに持っていたので、7割方はスイスに関する情報だった。ちなみにこうやって無理クリにでも薄っぺらい情報をあたまに叩き込んで、その国の人の前で披露すると大抵おおげさなまでに喜ばれる。外国に一人でいるということは母国の文化を常にそして過剰に意識してしまうことらしい。それはどこの国の人でも一緒のようだった。今回もスイスについての情報を叩き込んでおいたのは大正解だった。

 

 

 

 

 

さてそれにしても上の階からは音ひとつ聞こえない。すでに夕飯の予定時刻はとっくに過ぎ、もう夜の8時。さっきちゃんと呼ぶっていってたよな…俺抜きで食べてるってことないかな…なんてことを思いつつ、ひたすら待つしかなかった。この時の緊張といったら、上手く書き表せられないが正直半端ないものであった。あれから半年近く経つがこれほど緊張したことはない笑。ちなみに留学から帰ってから、どういうわけか緊張すること自体あまりなくなったのだが…    勉強する気にもなれず緊張を紛らわすためにyoutube を見ていると、不意に上の階から声が聞こえる!帰ってきたのかと思い、耳をすませていると、僕の名前を呼びながら,

 

Dinner is ready!!!

 

 

と叫んでるではないか。急いで鏡で身だしなみを確認し、果たしていつ帰ってきたのかと思いつつ階段を駆け上りリビングを覗き込むと、机の周りに女性二人、割と近いところに女性が一人立っていた。

 

ホストマザーはニコニコしながら一人一人紹介してくれた。

 

手前にいたのがスイス人のサラ、奥二人がイタリア人のラウラとエレナであった。自分も簡単に自己紹介をすませ、みんなで席についた。目の前にエレナ、隣にサラ、その隣にラウラ、そして長机のホストの位置にホストマザーが座った。僕がホストマザーから一番遠い所に座った。ホストマザーが料理を取りにキッチンに戻り留学生だけになると、ものすごく気まずい空気があたりを満たした。彼女たちは何か話している。英語なんだろうけど不思議とさっぱりわからなかった。誰一人として目を合わせてくれなかった。

 

そこで勇気を振り絞って、一人一人名前を確認してみた。

 

忘れたからもう一回聞くけど、君がサラで、あなたがラウラね、で君は…という感じで。

 

 

なんとか場は持ったがそれにて会話終了。留学生たち同士も以後会話をやめてしまったので、前よりもさらに気まずい雰囲気が流れる羽目になった。

 

ホストマザーが戻り、いただきますの合図もなくご飯を食べ始めた。本当にこれほどまでにご飯はまずくなるのかというくらい美味しくなかった。というより味がしなかったという方が適切なのかもしれない。そこまで気を配ってる余裕などなかったのである。

 

水ピッチャーが隣から回ってきたので、なめられちゃ困ると思いサンキューとしっかりした声で受け取り、目の前のエレナに渡そうとしたら、「im good(私はいらない)」と笑顔でいってくれた。この笑顔で少しだけ受け入れてもらえた気がした。

 

 

このあとホストマザーに一人一人改めて自分がどういう経緯で留学したのか、興味のある学問は何か、そしてみんなにひとことという学校初日でやらされるようなことをやらされた。

この時、僕以外高校生だということが発覚したのだが、この歳にして留学した経緯や得意な学問について、自信満々にきちんと論理立てて語ることができるのは、流石に西欧式の教育の賜物だと思った。

 

覚えてる限りここに簡単にまとめる

ラウラ(イタリア、トスカーナ)

高校二年生、好きな分野は忘れた。英語を習いにきたというのは嘘で、本来の目的は観光だということ。2週間後に帰国。あだ名はピッグ(ここについての説明は省く)

 

サラ(スイス、チューリヒ)

高校三年生、高校を飛び級で卒業したがその空いた時間で留学。世界ランキング7位かそこらのスイス連邦立大学医学部への進学が決まってるそう。12月過ぎまで4ヶ月ほど滞在予定。(因みにその後学校で知り合った他のスイス人二人も飛び級したとか言っていたので、日本のそれとは感覚が違うのかもしれない)

 

エレナ(イタリア、トスカーナ)

高校二年生、ラウラの友達。一緒にやってきた。ニコラスパーとかいう作家が大好きで文学を学びたいといっていた。精神年齢は一番低そう(もちろんいい意味で)

 

3人とも僕より綺麗な英語を話した。しかし母国のイタリア語や学校で教えるというクイーンズイングリッシュの訛りが多少なりとも入っており、最初は聞き取るのに苦労した。しかし後々出会うことになる中韓系やメキシコ系に比べればはるかに聞き取りやすかった。彼らの英語は最後になってもとうとう聞き取ることはできなかった。

 

そうはいっても全員自分より英語がはるかにできていたので完全に萎縮してしまい、自分の番では声を震わせ手を震わせ自分でも何いってるかわからにようなめちゃくちゃなことを喋っていた。こちらに向けられた視線はとてつもなく冷たいものだった。

 

 

簡単に大学一年で、文学部で、教養を学んでいて、映画が好きみたいなことを言ったのだがやはり留学生は僕の言ってることを理解できなかったようで、ホストマザーが僕の英語を伝わる英語に直してくれた。

 

イタリア人はほぼ無反応、というかやや引いてる感じであったが、意外や意外スイス人サラは映画が好きなのはとてもクールねと言ってくれた。

 

 

一通り自己紹介が済むと今度はホストマザーは原発がどうのこうの、トランプがどうのこうのと議論してくれた。たまにこうやって議論してくれてるらしいが、僕よりも英語をずっと上手く喋れるはずの留学生たちの単語量が圧倒的に僕より少なかったのには驚いた。いちいちホストマザーが話しているときにnuclearとは何か、congressとは何かと質問していた。後から痛感したが日常会話程度の英語を操るのに必要なのは単語ではないということだ。もちろん最低限の単語は覚えている必要があるが、本当に大切なのはいかに多くのフレーズを頭に叩き込んでいるか、そしてその仕組みの本質をどこまで理解し、どれほどそれを応用できるかにかかっており、効果的にスピーキングをあげる方法について留学最後の方にサラから直々に伝授してもらったので、どこかで紹介しようと思う。ちなみにさすがにサラはそれでも秀才だったようで最後の方には僕だけでなく語学学校の日本人を見て、日本英語教育の問題点まで指摘し偉そうに議論するようになった。

 

テレビもつけずにひたすら議論を展開してくれるホストマザーの器の大きさに驚いていたのだが、一通り議論を終えるとユータローの声を聞いていないとか言い出した。さっき二人だけだったときはペラペラ喋っていたから彼の英語力はこんなもんじゃないのよとみんなに教えてくれた。しかしなにをいうべきかもわからずその場は日本人特有の中途半端な笑みで乗り切った。乗り切ったというがこの種の笑顔が外国人を一番困惑させ、また同時に気持ち悪がられるというのはこの時点で十分に把握していた。

 

そうこうしてるうちにこの留学中にサンフランシスコかバークレーで観光したいところはある?と聞かれた。観光するつもりはなかったので特に下調べはしてこなかった。正直ゴールデンゲートブリッジとディズニーミュージアムが見れれば十分だった。まあ欲を言ってシリコンバレー 。

 

 

 

 

        

 

 

そう伝えると目こそ合わせてくれなかったが、シリコンバレー に行くのはいいアイデアだと初めてラウラが口を聞いてくれた。どうやらホストマザーが今週の放課後の観光計画を立ててくれるようだった。その観光計画にコミュ障東洋人がついて行っていいものだろうかと考えた。話の途中これでも構わない?とか聞いてくれるので自分も含まれてるのだと思うが、彼女たちは内心嫌がってるに違いない。ここで俺はいいですと伝えた方がみんなのためになるのではないか。いや逆にそう言ったら失礼に当たるのかもしれないと思いつつ、その場はYesひとつで返事した。そうこうしているうちに今週1週間の予定は決まったようである。なにか予定みたいなものを厚紙に書いてピアノの上に置いたがこれを見ることで、これは私たちのプランであってあなたには関係ないわよ、なんて言い出されるのが怖くその日は見ないでおいた。

 

今日はこんな風に1週間の予定を決めたけど、普段はゲームをするからとホストマザーは教えてくれた。どんなゲームをするのか見当もつかなかったが、エレナは役者だとかどうのこうの言っていたので、変な演劇でもさせらるのではないかと焦った。

 

その後ホストマザーは僕にタンゴに興味ないかたづねてきた。僕は見るのなら構わないけど踊るのは絶対にやだと伝えるとラウラは爆笑した。なにがツボったのかわからないが、この外国人のツボというのを理解しなければ外国人と真に打ち解けるのは難しいと私はおもう。この点については、息子が途中でキャンプから帰ってきて彼と遊ぶうちに何と無く分かってきたのだが、日本人には理解できないアメリカ人、ヨーロッパ人共に共通する何かを持っているのには疎外感のようなものを感じざるを得なかった。日本ですらツボを理解出来ず、笑いを取ることが人一倍苦手な僕が偉そうに語るのも何だが…

 

以上をもって夕飯は終わった。ここまで2時間近く全員夕飯の席に座って会話していたのである。これを読むと結構打ち解けたじゃんて思うかもしれないが、3回以上続くような会話なんてそれこそ留学生とはしなかったし、イタリア人に至っては目すら合わせてくれなかった。ラウラは笑ってくれたと言ったが正確には笑われたにすぎない。

 

明日何時に起きればいいかということをホストマザーに聞くと、朝ごはんは7時30分だからそれまでにはリビングにいればいいとのこと。その後ホストマザーは部屋に戻ってなかったサラを呼び寄せ、ワッツアップというチャットアプリのアカウントを交換するように促してくれた。行く前に海外ではワッツアップが盛んだと小耳に挟んでいて、事前にダウンロードしていたのは正解だった。正直今時メールでのやりとりほどめんどくさいものはない。

 

 

翌日はクラス分け試験である。Good nightとおやすみを伝え、早々に自分の部屋に戻った。

 

 

 

      

 

これがワッツアップ。ラインの簡素版といった感じ...?

 

部屋に戻ってからはほんとに解放されたと思った。すぐシャワーを浴び、歯を磨き(一人一部屋、シャワールームとトイレがついているという贅沢な家であった)いつでも寝れる態勢をとってから、現実を忘れるようにスマホにかじりついた。ようやく一日終わった。日本から一続きに感じられるような長い1日だった。

 

上の階ではかすかに彼女たちの声が聞こえた。間違いなく僕のことについて話しているに違いない。

 

眠くはなかったがベッドに潜り込み目をつむった。これがあと20日。地獄だと思った。とてもじゃないけど共同生活なんて無理だと思った。とりあえず早くイタリア人は帰り、スイス人も僕にはいっそ気遣わず他人のように生活してくれればいいと思った。ネットにかいてあった国民性なんてデタラメだった。なにがスイス人は警戒心が強く、イタリア人はフレンドリーだよ。いってみればむしろ逆じゃないか。そんなことを思った。

 

 

時差ボケのせいか全く寝れず、ついには深夜2時くらいには電気をつけてしまった。真っ暗闇にいると余計に胸が圧迫されてるように感じた。起きてから、今日本は何時かなーなんてことを思いつつ再びスマホにかじりついていた。気づいたら窓から見える東の空はすでに薄明るくなっていた。今日は試験。普段からあるクマは余計に黒く目立ち、何のためにアメリカまで来たのか早速自分でもわからなくなっていた。

 

 

 

 

次回「語学学校、初日から大遅刻!?」